tomatoの蒸気機関車館

1960年代後半から 今で言う「撮り鉄」時代の撮影を思い出しています。

SLの思い出 108 筑豊本線

折尾駅まで電車で移動。
駅に着くとD50140が停車している。

1970.8.4 折尾駅
写真を撮っていると貨物の760レがキュウロクに牽かれて通過していく。停車中の723レD50で次の駅中間まで乗車。D50が牽く列車に乗るのは初めてだ。
折尾と中間間は4車線区間がある。今回は写さなかった。明日写す予定で計画。
この日は中間、筑前垣生、直方、田川線油須原、伊田線で撮影。
中間駅に到着すると、香月線からのハチロクが牽く折尾行き124レが発車。

1970.8.4 中間駅
すぐに貨物681レがやって来た。ひっきりなしの言葉通りだ。 香月線のハチロクはこの後折尾折り返しで戻ってきて、何度か目にした。
次回に続く

SLの思い出 107 鹿児島本線 

はやともで九州に入りました。今回からは撮影列車と撮影場所しか記録が残っていません。時間を追いながら、少し思い出しながら当時のSL牽引列車の写真を見ていただこうと思います。当時こんなにSLが走っていたのかとびっくりする方もおられると思います。懐かしく見ていただく方もおられるでしょう。


1970年8月4日
早朝からSLをねらいにゆく。D6446とD51の上下列車が行く。国電に乗り折尾へ向かう。ホームにはD50140が停車。  ここまでの記録しかありません。
八幡のSLつながりの友人の家に泊めていただく。彼は筑豊本線をはじめ北九州の路線は強かった。この日は朝早くから筑豊本線のSLの撮影に出かける。今日のはじめは八幡駅から乗車した。いきなり鹿児島本線を8661レD6064がやってくる。この後側線を通り、筑豊本線に入っていきます。  次回に続く

1970.8.4 八幡駅

SLの思い出 番外編

広島駅でこんな列車を写していました。急行「やしろ」165系で運転されていたのでしょうか。調べてみると、準急として広島-下関間の列車として設定され、急行に格上げ、統合され岡山-下関間に伸びて、その後に急行「山陽」に統合されたようです。広島に着いた直後ぐらいの撮影です。

昨晩再び東大寺二月堂修二会の写真を写しに行きました。皆さんがよく目にされるのは、二月堂の舞台一面に松明の火が流れる写真だと思います。その松明に火をつけ、二月堂に上る階段での写真です。この松明を明かりに練行衆(僧)がお堂に上っていきます。