tomatoの蒸気機関車館

1960年代後半から 今で言う「撮り鉄」時代の撮影を思い出しています。

SLの思い出 27 呉線 C62D51

さて、呉線の撮影地は初めて行く土地です。当時の鉄道雑誌に紹介された駅から比較的近いところで撮影に臨みました。特に急行「安芸」はヘッドマークを付け、太いボイラのC62に牽引され、爆煙でより力強く疾走する姿を撮影したいと思っていました。選んだ撮影地は忠海-安芸幸崎間でした。バックに海を入れる構図を思い描いていましたが、到着は通過時間間際おまけに撮影側に電線が入ります。移動しようとしましたが・・・。散々な写真になっていました。

この後、上りの「安芸」を写しましたが、ぶれていました。(今のように撮影をすぐチェックできない時代でした)現像して写真を焼いた時の落ち込みは・・・。
しかし、陽に輝く海をバックにシーサイド走る列車はすばらしいと思いました。海のない県民は海岸を写したがりました? 同じD51でも関西線と呉線では雰囲気が違います。なかなか良い雰囲気です。

全て1969.12.26 安芸幸崎-忠海


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SLの思い出 26 呉線

当時の記録をたどっていくと、早朝は小屋浦駅や天応駅周辺で撮影した後、忠海-安芸幸崎間へ移動しさらにその後は糸崎へ行き機関区で撮影したようです。その後、夕方の急行電車で帰阪したと考えています。この部分は記録がありません。夜行で行って一日まるまる撮影するスタイルでした。この後の撮影旅行でも、畳の上で寝るより夜行列車の座席で寝て朝を迎えることの方が多かったように思います。今では考えられないような旅行でした。

1969.12.26小屋浦

C50糸崎機関区

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SLの思い出 25 呉線 C59C62

私が撮影旅行で遠征した回数はそれほど多くはありません。学生だったので当然小遣いには限度があるし、バイトばかりもできませんでした。ようやく高校時代になりすこし遠出ができるようになりました。近畿では播但線や山陰本線京都口、中国地方では伯備線や呉線、山陰本線下関口、東は木曽福島周辺の中央西線と最後までSLが残っていた北海道でしたが、回数が多かったのは九州でした。特に筑豊へはのべ7日間近く撮影に行きました。追々その時写した写真を紹介したいと思います。
さて初めての大遠征は、1969年12月25日夜行に乗って早朝から撮影をした呉線でした。残念ながら大阪駅から乗車した急行列車の名称は覚えていません。記録も残っていません。早朝の4時頃?広島駅に到着した列車だったような気がします。
呉線の始発に乗り最初の撮影地の小屋浦駅や天応駅を目指しました。
冬場ですから夜明けが遅く薄暗い中で長い編成の通勤列車を撮影。日頃見慣れたD51とは違い、列車を牽引するC62やC59の凄いドレインやブラスト音を初めて見聞きした時の興奮は忘れられません。


1969.12.26 天応→小屋浦


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