tomatoの蒸気機関車館

1960年代後半から 今で言う「撮り鉄」時代の撮影を思い出しています。

SLの思い出 126 磐越西線

ちょっと一服

4月1,2日残雪の中のばんえつ物語号の撮影に出かけました。

2017.4.1  鹿瀬-日出谷
一昨年5月 もう撮影に来ることはないだろうと思っていましたが、また撮り鉄チャンの血が騒ぎました。
山間に入ると斜面や北側の部分には雪がまだまだありました。
しかし、撮影者の30%はきっと60歳以上のシルバーだろう。時期的にも(高、大)学生はほとんど見かけなかった。しかたがないだろう。1日1往復だから。だから、あれだけ追っかけるんですね。かく言う私もレンタカーで上下で6カ所くらい移動しました。自分なりに、すごかったの一言です。でも、納得いくのが何カットある?
今後も、ちょっと一服で載せたいと思います。

SLの思い出 125 田川線

田川駅から田川線に乗り換え油須原までDCで行きました。当時の鉄道雑誌の田川線の撮影には、車を使って効率よく撮影しようといった記事が出ていました。当時は運転免許をとれるような歳ではなかったので、どこへ行くにも自力かバスでの移動のみでした。油須原駅周辺での撮影に挑みました。重連ではなく後補機を付けグイグイ登ってくる写真がたくさん写されていました。そのような写真を写してやるぞの気持ちで油須原駅を降りました。しかし、真夏の炎天下。イメージしていた撮影場所まではとてもとても。雑誌にあった車を使えの記事に納得した次第。駅周辺での撮影になりました。


まずは午後2時過ぎ、462レがやって来ました。キュウロクの補機付きのはずだが、補機はなし。短い、軽かったのでしょう。だから単機の伊田への回送はありませんでした。ここで客車429レと交換。門デフのC11がやって来ました。  次回に続く

1970.8.4 油須原

SLの思い出 124 伊田線

12時15分頃の2229D伊田行きに乗車。途中中泉で259レを抜かす。

1970.8.4 中泉
ところで、この伊田線がなぜ複線なのか?(現在もそうなのでしょうか?)複線化された頃は石炭の産出が相当多かったからなのでしょうね。石炭だけでなく石灰石もでしょうか。長大な貨物が運行されていたような記憶があります。写真にも残っています。筑豊の平坦部をキューロクが牽引していました。伊田線の写真は直方駅周辺と、筑豊線の勝野駅から遠賀川沿いに歩いて遠賀川にかかる鉄橋の辺りでしか写していません。  次回に続く