NHKのいわゆる大河ドラマで舞台となった地は観光ブームを起こします。1971年当時、剣術家柳生但馬守宗矩を題材にした「春の坂道」が放映されました。奈良の東 柳生の地は観光客が多く訪れました。国鉄は湊町駅や天王寺駅と伊賀上野駅の間に、DCとSLの臨時列車「柳生号」を運転しました。DCはキハ35系、SLはD51が牽引する客車列車でした。走り始めた3月頃は小さな文字のみのヘッドマークでしたが、
いつ頃かはっきりしませんが編み笠を描いた赤いヘッドマークになりました。結構遠くから見えた気がします。
さらに、客車も43系から新型12系に変わっています。
私の記録では3月は小さなヘッドで旧客車、4月頃は赤のヘッドになり旧客車、5月の連休頃から12系客車になっています。しかし、この頃の私の記録に日付が書かれていないのがありはっきりしません。カマは竜華機関区のものがほとんどだったと思います。下の写真まで奈良ー木津間
ヘッドが付けられている位置が中央でない列車もありました。どうしたのでしょうか。
この写真のみ 郡山-法隆寺 後ろに近鉄橿原線のオーバークロスが見えます。
SLブームに火がつき始めた頃、国鉄奈良駅にユースセンター的な高校生など若者が集まる場がありました。はっきりと覚えていないのですが、私もそこに出入りをしていました。きっかけも良く覚えていません。その時にもらった(写真の)チラシから、「汽車ポッポ旅行」でSL特別列車が走ることを知りました。1969(昭和44年)10月19日のことでした。
私は遠くまで出向いて撮影するなどとは考えていませんでした。だから、いつもの佐保川への築堤で撮影に臨みました。当時は水田で稲穂が実り一面黄金色です。さすがにいつもより撮影者は多くいました。別のネガにはカメラを持っている人々がたくさん写っています。先頭にC11次位はD51です。わくわくしながら写したことを覚えています。
上りだけで、下り列車は写していません。今なら車を使い追っかけをしながら写すのでしょうね。
この頃から関西本線や奈良線ではSL臨時列車が盛んに走り始めました。特にNHKの歴史ドラマに関わる「柳生号」やその後の「伊賀号」が毎週のごとく走りました。奈良周辺で走ったイベント列車をこれから紹介していきます。