tomatoの蒸気機関車館

1960年代後半から 今で言う「撮り鉄」時代の撮影を思い出しています。

SLの思い出 3 奈良-木津の間 佐保路

平城山(ならやま)丘陵は1970年頃から国道24号線のバイパス工事が始まり、大きく変わりました。道路建設と平行し、平城・相楽ニュータウンが建設され住宅地化が進みました。国道のバイパスと後に「ならやま大通り」という愛称になった「外環状線」のクロス部、現在奈良電車区が建設された付近でのSL走行写真をしばらくの間UPしていきます。


かの写真家の巨匠入江泰吉氏は、佐保川からの遠望や不退寺周辺の写真にSLを写されています。古き大和路には、SLもよく似合っていました。

写真は国道建設が始まろうとしている頃のものです。右奥の寺は、平安時代の歌人・伊勢物語で知られる藤原業平ゆかりの不退寺です。

佐保川の堤防から、東には東大寺大仏殿や若草山春日奥山が西は生駒山が遠望できました。

西方向

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SLの思い出 2 奈良-木津の間

学校が関西線に近かったため、下校時はしばしば写しに行きました。このあたりは平城山(ならやま)と言われる丘陵地です。大和と山城が接するところです。うわなべ・こなべ古墳や不退寺があります。平坦地ですから煙は期待できませんが、ちょっと写すには良いところでした。夕日をバックにできた時間帯は、本数も多くたびたび写しました。また、天理教の団体臨時列車もしばしば走りました。1970年頃から国道24号線のバイパス工事が始まり、大きく変わりました。次回へ

木津駅構内入れ替え使用のハチロクを回送






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SLの思い出 1 若草山が見えました

この二日間の阿賀野川流域の喧噪はどのようだったのでしょうか。16日の平瀬の里はものすごい人出でした。一番端っこに入れていただきました。良い感じの白煙です。


さてさて、学校への途中にはこんな景色が見られました。当時は高いビルもなく田園が広がっていました。若草山も見ることができました。川の両岸には桜が植えられ、現在も桜が咲く頃は大賑わいです。一時汚れた川岸も整備され親水公園です。一面レンゲ畑も広がっていましたが、今周辺は住宅の密集地になりました。奈良線のC58牽引の貨物です。


夕方の荷物列車は、回送の機関車が連結され時々重連が見られました。次位は亀山区のC57145です。(1970.4.22)
ある日は突然C57の臨時列車がやってきました。傘を投げ飛ばして慌てて撮影したようです。その日の臨時列車の情報まで収集できませんでした。


ネガにカビがきています。もう少しネガをきっちり管理すれば良かったと後悔です。少し見づらい写真ですみません。







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