D51「211」に特別な思い入れはありませんでした。
しかし、ナンバープレート下の銘板にあった「鉄道省 鷹取工場 昭和13年 製造番号1」
の「1」が目に入り、「211」がそのような存在であったのかと知った時の驚きと感動がかすかに残っています。奈良運転所などで写した写真は幾カットかありますが、実際に走行中を写真に収めたのは少ないです。ネットから得た情報では、1971年3月1日には第一種休車になり、鷹取工場に送られ5月には廃車になったとなっています。私が撮影をしていた期間の前半には、鉄路上から消えているわけですから少ないはずです。また、ナンバープレートに形式が入ったのは、私の撮影記録では70年2月1日の木津発車の写真は普通のプレートです。見づらい写真ですがすみません。
70年4月23日の木津-奈良間の写真では形式入りになっています。
補機で写した写真もあるかもしれませんが、私が最後にはっきりと写しているのは、70年10月4日奈良運転所機関庫での写真が最後です。
最後に走行写真 加茂-木津でも後補機がつきました。先頭がD51211です。
現在奈良電車区が建設された付近でのSL走行写真です。ちょうどカーブのところは下り上りで段差があり、写す場所としては私のお気に入りでした。1970年頃の木津奈良間は、関西線のD51(奈良運転所と竜華区)奈良線のC58、片町線のC11木津入れ替えのハチロクを見ることが出来ました。
奈良線のC58は荷物車と貨物が連結されていました。SL同士の対向もありました。
亀山から竜華行きの貨物です。
亀山と木津の間の貨物列車の一部には補機が付いていました。補機が付いたのは加太峠だけではありません。木津で解放されたD51は単機で回送されました。
建設中の道路から撮影。左上の建物は奈良市のゴミ焼却場です。現在立て替え問題等が起こっています。
このカーブは私にとって気持ちの良い撮影地点でした。
次回はD51211をUPする予定です。