SLイベント列車が頻繁に走る中、関西本線に再び三重連が走ることになった。奈良ヤングトラベルメイトが主催した「さよならSL三重連の旅 バンビ号」です。大いに話題になったのは、この列車が加茂→奈良間を三重連で走行することでした。下り列車だけ三重連での運行でしたが、当然上り列車も走ったはずです。しかし、自分の記録には加茂駅の下りの出発しか撮影した記録がありません。この日上り列車が走る時間は何をしていたのでしょうね。そして記録には、ヘリコプターも飛びまくりやかましかった、5000人の人出と書いています。刈り取り前の稲田の畦には撮影者が鈴なりに写っています。なお、牽引したカマは先頭からD51940+944+882。デフに装飾されたカマばかりでした。
1972.9.24 加茂→木津
この列車もヘッドマークから推測すると、大阪の民間放送局と旅行会社が主催者でしょうか。湊町発着かな?上りは重連で下りは単機のようですね。奈良周辺でしか写していません。どのようなルートでどこまで走ったのでしょうね。自分の記録で同じ日付で単機と重連で写しています。その日付は1972.10.14(土)と10.15(日)になっている。しかし、当時土曜日は休みでないし授業があったので写せるはずがないと思うのだが・・・・。
1972.10.14 木津→奈良
1972.10.14 大和小泉→大和郡山
1972.10.15 奈良→木津
ちなみに1,2枚目にあるD51944の運転席から前方を見る窓のひさしは長いものです。以前聞いたか、もしくは読んだ文書から知ったのか確かではないが、ひさしが長いカマは寒冷地を走っていた。トンネルの内部に出来たつららでガラスが割れないようにひさしが長くなっているらしい。本当かどうかは定かでない。一部の奈良区のカマ(確かD51254あったと思うが)の運転席の前方を見る窓は雪国で見られた旋回窓であったように思う。どこから来たのだろうか。プレスアイゼンバーンのD51書籍によると、両機とも福知山からになっている。きっと雪が多い日本海側も走っていたのだろう。