これでもかと佐保川橋梁走行 三カット
1972.5.16 修学旅行列車
1972.11.12 ローズサークル号
1973.9.30 関西本線無煙化前日 上りの貨物
次回に続く
これでもかと佐保川橋梁走行 三カット
1972.5.16 修学旅行列車
1972.11.12 ローズサークル号
1973.9.30 関西本線無煙化前日 上りの貨物
次回に続く
関西本線の奈良と亀山の間に荷物列車は2往復設定されていたと思います。
亀山区のカマが奈良運転所で検査を受けた時やC57が牽引するイベント列車が終わった後の回送の時、上りの荷物列車にくっついて帰って行った。
1972.1.1
特に夕方の荷物46レは度々重連になっていた。夕方のためブレてしまったことも度々ありました。ただ、2枚目の写真のような重連の単機回送はほとんどなかった。
1972.5.16
想像するところ、試運転で奈良から加茂まで行き、貨物の後補機が木津から奈良に回送される時に重連になったのではないかと考えています。ただ、この時の次位は重油タンクがのっていません。
普段単機の列車が重連でやって来た時はヤッタといった気分になりました。しかし、単機と思って構えているのでそれはそれで悔しい思いもしました。特に、次位にC57が付いている時はそうでした。 次回に続く
当時は佐保川堤防への線路の両側には田や畑が広がっていました。川の南側より北側(木津寄り)の方が多くありました。
春はレンゲや菜の花が咲き乱れていました。レンゲの紅や菜の花の黄は素朴な絵になり、今も大好きな被写体です。
1971.4
天理教の団体列車でしょうか。
1971.4
2枚の写真とも春日山が写っています。夕暮れの時間帯です。
しかし、一面に広がっていたレンゲ畑はなり、今はほとんどが住宅の密集地になりました。不退寺前にも良いレンゲ畑がありました。後日載せたいと思っています。
次回に続く